<株式会社dZERO 松戸社長>

立川談志師匠や、森 達也氏など、実力のある著者の書籍を発行し続ける出版社「dZERO」(ディーゼロ)。その代表取締役社長をつとめる松戸さち子氏は、30年以上出版一筋の編集者だ。本記事では松戸社長に、編集や出版について、著者とのつきあい方、そして新しい出版社のあり方を模索するdZEROという会社について聞いた。

松戸さち子(まつど・さちこ)
1958年、東京都に生まれる。大学卒業後、文芸系出版社に入社して以来、一貫して書籍・雑誌の編集に携わってきた。いくつかの出版社を経て亜紀書房に入社、ZERO事業部を立ち上げる。2013年9月、同事業部の仲間とともにdZEROを設立。書籍の出版とともに動画配信サイトdZEROをスタートさせる。

──dZERO設立までの経緯をお教えください。

 文芸系出版社に新卒で入りましたが、入社後半年で倒産。新卒だったこともあり、同じグループ会社の出版社に入社できたのですが、編集者として落ち着いて仕事ができる環境ではありませんでした。そのとき『週刊宝石』の記者募集の広告を見て、いわゆる編集プロダクション的な会社に転職しました。その会社では大手出版社から書籍の編集の仕事も受けており、長く仕事をしていくなかで講談社の仕事を多く手がけるようになって、やがて講談社の中で働くようになりました。
 その後、当時の講談社の上司とともに大和書房に移りました。「だいわ文庫」を創刊するためです。このあたりから"転戦"が始まります。大和書房で3年間くらい働いて、48、49歳の頃だったかと思いますが、そろそろ独立的に仕事をしたいと考え、知人のいた梧桐書院という再生を目指す出版社に入りました。その知人は講談社で隣の席にいた人間で、現在、dZEROの代表取締役副社長です。
 dZEROの前身、亜紀書房ZERO事業部を立ち上げたのは、さらにその約2年後です。亜紀書房の社長とは以前から親交があり、新しいことをしたいという私の考えに共感して受け入れてくださいました。「ZERO事業部」としたのは、旧来の"出版社"とか"編集部"とは違うことをやりたかったからです。そこで2年半、紙の本づくりだけでなく、電子書籍はもちろんのこと、クラウド型の動画配信サービスも手掛けました。そして、これは今でもありがたいと思っているのですが、亜紀書房の社長が私の考えを理解してくださり、より独立的でスピード感をもった環境を求めて、事業部の仲間と独立しました。それが「株式会社dZERO」です。
 出版社を移っても、自分たちが編集して世に送り出した書籍は気になって仕方がありません。子どものようなものですから。そのため、亜紀書房ZERO事業部時代に制作した書籍は現在も、dZEROサイトで紹介ページを作って販売していますし、亜紀書房とは現在でも情報交換をしています。

 dZEROを立ち上げるにあたり、まず7月1日に会社を設立しました。そのうえで、9月21日から編集部ごとdZEROに移りました。
 「夫の収入があるからこそ独立ができた」などと勘違いされることもありますが、うちは夫が「主夫」で、結婚以来、夫が家事や子育てを担い、私の親の世話をしてきました。一方の私は稼ぎ手でほとんど家にいない、帰らない。住宅ローンは私が払い、さらには親も扶養しています。そういう意味ではいわゆる一家のお父さんと同じです。そのような環境で出版社を立ち上げるのは非常に冒険、あるいは無謀(笑)。それは大いに自覚していたので、会社を立ち上げるにあたり、家族に「家のローンが払えなくなるかもしれないので、覚悟しておいてほしい」と伝えました。私が倒れたら一家離散ですからね。幸いにも子どもふたりがすでに成人していましたし、年代的にも冒険ができる最後のチャンスなのではないかと考えました。

──インプレスとの出会いと魅力を感じた点を教えてください。

 出版社を立ち上げる際に問題となるのは取次口座でした。いろいろな人に相談し、取次口座を開くために紹介してくれる人も確保して、出版物のラインナップも決めました。しかし、私たちは全員編集者で、販売までの道を切り開く手間が非常に大変でした。そこで、ある方からインプレスという会社を紹介されました。
 以前、ビジネス誌の記者をやったりビジネス書ばかりを編集している時期があって、第1次ベンチャーブームの頃からさまざまなベンチャー企業の社長を取材しました。第2次ベンチャーブームの時に取材した人の中に、当時の塚本社長(現:ファウンダー/最高相談役)がいましたので、インプレスのことはよく知っていました。そればかりか、学生時代から、インプレスグループのリットーミュージックの『キーボード・マガジン』を愛読していましたし、さらに私はデジタルが好きだったこともあります。
 また、単に提携するだけでなく、デジタル、オンデマンド、それ以外のまだ見ぬ新しい形の「本」とか、一緒にわくわくするような仕事をさせていただけるかもしれないという期待がありました。

 現時点ではまだ、こちらの力不足で、わくわくするようなコラボが実現していませんが、提携させていただいてよかったと思う瞬間は少なくありません。はっきり言って、日本はベンチャーに向いていません。できたばかりの小さな会社に対して期待をかけてくれる人たちがいる一方で、「小ささ」を負の特徴としてとらえる傾向が強いように思います。その点、私たちに不足するものをインプレスさんに補完していただいている、という認識は大いにあります。取次や書店に対してもそうですし、印刷会社など業務関連の取引先についてもいえます。
 POSデータや在庫などの管理システムも、今のdZEROがすぐに自前で構築するのは困難です。といって、これらは日々の営業活動には欠かせません。インプレス保有のこれらのシステムを利用させていただいていることにも大きなメリットを感じます。スピード感など小規模であることのメリットを享受しながら、「スケールメリット」の恩恵にも浴しているということです。
 それからこれが一番かもしれないのですが、インプレスの社員の方々との交流は実に楽しいものです。個性的で楽しい方々がそろっていらっしゃるので(笑)。

──ずっと編集者として活躍されてきたわけですが、編集や出版の魅力とはどのようなところにあるのでしょうか。

 今の時代に限ったことではなく、出版は非常に"ばくち"の事業ですよね。出すまで売れるかどうか、わからないわけですから。そこが魅力と言えば魅力ですが、いちばん編集者になってよかったと思えるのは、天才といわれるような著者と出会えるからです。これは弊社の方針でもありますが、編集者が立てた企画に合った著者を探す、というやり方はしません。非常に存在感のある著者に編集者が惚れ込み、その著者のための企画を立てます。売れたり売れなかったりすることはあるけれども、著者の才能を世の中に発信していくために、それを形にするのが編集者の仕事だと思っています。ですから、自分が新しい著者に出会って本を出すたびにとても勉強になります。知識だけでなく、生き方にも影響を受けます。著者はみなさん並外れた方たちばかりなので、編集者もちょっとやそっとでは傷つかなくなりますし、Twitterとか炎上しても平気だし(笑)。表現する人はみなさん覚悟をもっている方々ばかりですから強いんですよ。そのような方々と接していると、学校や親なんかよりもはるかに多くのことを学べます。それを考えると編集者はやめられなくなりますね。
 そういうなかで本が大きく売れることも、たまにはあります(笑)。それは万馬券が当たったみたいでうれしいですが、それがなくても、人間として、並外れた才能をもっていたり、強かったりする方たちとがっぷり四つで仕事をして、場合によってはプライベートにまで入り込んでいく。これで得るものはお金には変えられない経験です。そこまで気づいた人は編集者をやめないと思います。

──dZEROの特徴とは何ですか?

 メディアを選ばないことです。デジタル、アナログ、動画・活字を選ばずに、著者の才能を発信していく。著者とは"才能あふれる人"。基本的にdZEROから出す本の著者はいろいろな分野で活躍されていて幅は広いですが、その分野において「革命児」とか「異端」とか呼ばれていたり、個性が強くてテレビ側が出演NGにするような方たちが多いです。テレビでは発信できない発言を本だけでなく、動画でしかも有料で私たちが発信していく。この「有料」ということが重要で、お金を払って見に来る人に対してきちんと訴えかけるということが大事なのです。
 本を1冊書ける実力のある著者は、動画にしてもおもしろいんです。動画にした時にまた違った味が出たり、ペンを握らせるととても厳しい言い方になる方が、動画の中では優しさを隠し切れない、なんてこともあります。活字には表せない著者本人の魅力を動画で発信していくことができるんです。

──松戸さんが本をつくる上で大事にしていることはなんですか?

 著者との信頼関係ですね。それができていないと著者が書いた原稿に手を入れると怒られる。著者が書き上げた原稿に明らかな間違いを指摘した際に、著者から御礼が出るくらい信頼関係ができていないと、いい本はつくれないですね。
 私の昔の上司の方針で、今でもそれが正しいと思っているので従っていることがあります。それは「著者とは飲み食いするな。信頼関係は仕事だけでつくれ」ということです。100%そうしなければいけないということではなく、心構えのようなものですね。信頼関係をどう作るか、著者によってもやり方が違ってくるでしょうし、編集者一人一人が自分の流儀を持っていると思います。私もまだまだ努力中ですが、たとえば著者のところに企画をもっていった時に、著者の目がキラキラ輝くかどうか。「そんな切り口があったのか」、「そんなテーマで自分のところに執筆の話をもってきた人は初めてだ」と思わせることです。
 編集制作のプロセスでは、編集者としての職人の部分を徹底的に著者にプレゼンテーションします。たとえば、著者が長年間違えて使ってきた日本語に気づき、それを指摘すると著者は驚いて、感謝されます。大物の著者ほど、誤りで恥をかくのは自分だとわかっているので、感謝してくれます。そのことによって「この人に原稿を渡せば、思うような本にきちんと仕上がる」と著者に思わせるんです。そうすれば飲み食いなんかしなくても、著者は「またお願いしたい」と考えます。これは難しいことではありますが、ひとつひとつ努力していくことの積み重ねですので、若い人にはこのことを教えるようにしています。「著者が自分の企画に落ちなかったら、自分のせいだと思え。会社が小さいからじゃない」とね(笑)。

──今後どのような仕事をしていきたいですか?

 才能あふれる著者と一緒に、次の世代に残る言説を形にしていきたい。残す方法としてデジタル、活字、動画という区別なく、ライブも含めて、やっていければいいなと思っています。小さな出版社なので、そのためにはインプレスさんの協力は必須です(笑)。
 私は32年も編集者をやってきて、やり残した仕事をするためにdZEROを立ち上げました。作りたい本を作ることが基本ですが、それをいかに採算に乗せるかですね。もちろん、一冊一冊重版を目指していきます。それから、書店員さんのファンを増やしたいですね。書店員さんに売りたいと思ってもらえれば長く置いてもらえます。

取材日:2014年1月16日
取材・文・撮影=インプレスコミュニケーションズ・デジタル事業本部

松戸社長の一冊

 『ザッツ・ア・プレンティー』(亜紀書房刊)ですね。書名の『ザッツ・ア・プレンティー』(That's a plenty.:これで十分)はディキシーランドジャズの名曲ですが、葬式の時はこの曲を流してくれ、という談志師匠の遺言で、実際に流されたものです。私は書名については、著者の言うことはほとんど聞きません。著者のつけたタイトルは売れないことが多いからです。でもこのときは特別でした。著者の松岡弓子さん(談志氏のご長女)からこのタイトルを言われたとき、迷うことなく決めました。
 生前、談志師匠は詳しい病状を公表していませんでした。お嬢さんの弓子さんは師匠の介護をしなから日記を書いていたので、この日記を本にすることによって、師匠の病状を、みなさんに伝えたいというお話でした。お目にかかって日記の存在を知ったのは師匠が亡くなって数日後の2011年11月28日だと記憶しています。その場で刊行日が決まりました。12月21日に開催する「お別れの会」に来ていただいた方に本をお渡ししたいということでした。
 すでにこの時点で1カ月をきっており、しかも400ページを超える上製本。日記はご家族がワープロ化してくださいましたが、それにしても量が多く、通常の日程ではとても間に合いません。そこで、翌日には各方面の手配です。まず、いちばん信頼できる校閲者に電話をかけてお願いしました。次に装丁です。談志師匠の本はずっと鈴木成一さんにお願いしていたので、鈴木さんにも電話をかけ、材料を渡して2日であげてほしいと無茶なお願いをしました。私も一週間ほど会社に泊まり込んで、スタッフの協力を得て編集作業にあたりました。印刷会社さんには「週刊誌だと思って刷ってくれ」といって(笑)、12月21日に間に合わせました。
 よく「事前に出版が決まっていて準備していたんじゃないか」と言われるのですが、そうじゃないんです。日記の状態で見せてもらって、そこから企画が始まったんです。実質20日間で制作しましたが、こういう力仕事も編集者の醍醐味ですよね(笑)。